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狛江市の歴史
弁財天池遺跡から、旧石器時代後期の槍先形尖頭器・ナイフ型石器・細石刃などの石器が出土しています。この時代の人々は、同じ場所に定住せず、自然の恵みを追って移動を続ける生活を営んでいました。紀元前1万年前頃には、人々は土器を発明し、食物を煮炊きして、食物資源をより有効に活用するようになりました。そして、次第に定住するようになり、村を作って生活するようになりました。寺前東遺跡で発見された縄文前期の住居跡が狛江の最も古い村の跡です。
弥生時代中期に、中国大陸・朝鮮半島から稲作農耕・金属器の製作・使用技術が伝わり、後期には多摩川の低地を望む台地の縁に、集落が営まれていたと考えられています。古墳時代の5世紀半ばから6世紀半ばにかけて「狛江百塚」と呼ばれるほどの多くの古墳が構築され、およそ70基ほどの古墳が存在したといわれています。この時代の集落は、現在の市域の至るところで発見されており、中でも和泉遺跡からは、南関東地方における古墳時代中期の土師器が初めて見つかり、遺跡名から「和泉式土器」と命名されました。また、武蔵国分寺跡から出土した瓦の中には、瓦の献上地域を示す刻印が押されますが、そのなかに「狛江」の文字が認められることから、このころにはすでに「狛江」の地名が存在したことが分かります。住居のほとんどは、これまでと同様に地面を掘り窪めた竪穴住居ですが、村の中心には地面から柱で建ち、床を貼った掘立柱建物も建てられていました。
徳川家康が天正18年(1590年)に関東に入り、江戸を居城と定め、慶長8年(1603年)に、江戸幕府を開きました。当時の狛江は、ほぼ徳川氏の直轄地であったと考えられており、その後は、江戸時代を通じて代官、大名、旗本などの支配下に置かれていました。このころの主要な産業は農業で、江戸の近郊農村として発展していました。
慶応3年(1867年)の大政奉還により、江戸幕府は滅亡し、翌年、江戸を東京と改称しました。明治5年(1872年)に神奈川県に属していた狛江でしたが、明治11年(1883年)には北多摩郡に編入されました。そして、明治22年(1889年)に町村制が施行され、和泉村・猪方村・岩戸村・駒井村・覚東村・小足立村の6ヶ村が合併し、狛江村が誕生しました。
昭和2年(1927年)には小田急線が開通し、和泉多摩川駅、狛江駅が開業し、都心との交通が大変便利になりました。その後、昭和18年(1943年)には東京都制が施行され、東京府から東京都となりました。昭和27年(1952年)に町制を施行し、狛江町となりました。その後、東京のベッドタウンとして発展し、昭和45年(1970年)に市制を施行し、狛江市が誕生しました。「水と緑の住宅都市」狛江市は、快適で美しいまちなみ、安全で健康な都市、活気あふれる都市づくりを進めています。


